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  • 原稿の締め切りに追われてます

    2012-09-23 04:37
    原稿の締め切りが9月末にあり、その執筆に追われています。バークリー通信は1週間ほどお休みします。
  • SB氏の問題発言

    2012-09-22 22:55
    SB氏(一応イニシャルにしておく)、およそ英語っぽくない名前の持ち主。アフリカ系アメリカ人である。デレック先生の大学院授業を一緒に受講している。
     よくしゃべる。昨週のテーマはスポーツと宗教だった。アメリカではスポーツと宗教を類比させて、その共通性に注目することがよくある。以前紹介したヘゲモニー論の立場に立つ論者にとって好都合の題材。なぜなら、どちらも抑圧的(というと、信者には確実に叱られてしまうが、そういう学問があるということでご容赦いただきたい)であるにもかかわらず、どちらも参加者(信者)の熱い支持・同意(あるいは信仰)を得ているからだという。
     日本ではあまり聞かれない(それだけ日本が非信仰的だということだろうが)、また宗教学者からも聞かれないので、スポーツ研究者がスポーツの「格上げ」のために展開する議論であると、私などは少々冷めた目でみている(ただし、近代オリンピック運動の創始者クーベルタンもそう主張しているのでアメリカに限られた解釈というわけではないことに注意)。
     いずれにせよ、とても有効な類比であることは確かである。
     このとき、SB氏は「スポーツと宗教が同じはずはない」と(憤ったかの表情で)熱弁をふるった。本人は宗教専攻だという。デレック先生やヘゲモニー論を指示する学生のうち勇気あるものが、「同じといっているわけではなく、拠って立つ前提や機能が似ているというハナシだよ」となだめて、本人も矛を収めたようだった。
     SB氏があまりに早口なのと、アフリカ系特有の喋り癖(なまり・・とはいえないかもしれないが)があり、また私の英語力の制約もあってどうしても理解度が落ちるのだが、弁舌にこめる気迫はひしひしと伝わってくる。授業後少し話してみると、院生ではなくバークリーのアフリカ系アメリカ人研究コースを担当するれっきとした教員(アソシエート・プロフェッサー=日本の准教授)であることが判明。なるほどと、その迫力に納得(もっとも、大学院生でもスゴイ迫力の持ち主はごろごろしているのだが)。
     そして今週、テーマは昨週に引き続いてスポーツと宗教。再びSB氏が爆発した。話題が宗教から教育に転じ、教育の方法とスタイルに及んだときのこと。「黒人だけに通じる教育スタイルと方法がある」というのである。一瞬、教室は凍りついたようなる。デレック先生、それから院生Tさん(水泳選手でテキサスの田舎で教育経験のある白人女性)が、「そんなことない」、「ないわよ」と反論。さらにTさんが「肌の色で人間の考え方がちがうとでもいうの?」と詰問。(リベラル派にとっては「イエス」といわせないための殺し文句、のはずが)「もちろん(イエス、オブコース)」「・・・・」(全員沈黙)。
     リベラル派の信念が、正面から、直球でぶち破られた瞬間だった。
     Tさんは、少したって「あなたの言うことには反対よ」というのが精いっぱいだった。
     「白人」には決して許されない一言、だが「黒人」の口からでると気まずい沈黙か、あるいは「賛成できない」という消極的な反論が続くだけだ。
     「人種」意識の根強さ、リベラリズムのもろさ、分離主義の志向、あるいは黒人の不満。わずか数分のやりとりからいろいろなことを教えられる。一から学び直さなければならないと痛感。 
  • スカイプで覗くわが家のリビング その2

    2012-09-21 00:01
    長男が帰宅するまで少し時間があるので、スカイプは一時中断。その間にイフェクティブ・リーディングの宿題をやる。
     午後9時半(カリフォルニア時間午前5時半)、また同じことをやる。今度は長男が主役である。塾の様子、学校の社会科授業の内容など・・・。
     それから長男は牛肉うどんを食べるために食卓へ。次女と同じようにカメラの位置を固定、リビングチェアの上で寝てしまっている次女以外はテレビを見ている。
     この時、再び例の感覚・・・不吉なセンセーションのような・・・・。
     あっ、わかった。
     話を前回やっていたNHKの朝ドラ『カーネーション』に移す。その中で、夏木マリ演じる主人公の小原糸子が、自宅の二階をリフォームしてバーをつくる場面がある。そして、全体が見渡せる壁の一画を空けておいて、(自分が死んだらここに写真を飾ってね)とメッセージを送るのである。
     娘たちは、糸子の死後そのメッセージに気づき、彼女の遺影を飾る。番組では、糸子は死後もナレーターとして生きており、だんじり祭にあつまった家族、友人、知人を嬉しそうに見守る。こうして番組が幕を閉じる。
     スカイプのモニターをみていて、糸子の気持ちがわかったような気がしたのだった。
     まさに不吉!
     が、しかし、死後に霊というものが存在するなら、どのくらい多くの霊たちが、こんな感じで遺族を見守っていることだろう。その立場に身を置くことができるのも、単身赴任留学の特権とIT技術の賜物だ。不吉がってないで、感謝すべきところだろう。
     今この時、命を与えられていることに深く感謝し、精一杯生きようと改めて決意を固めた。 
  • スカイプで覗くわが家のリビング その1

    2012-09-20 04:54
    単身赴任留学の憩いのひとときは、「スカイプ」という、今やネット社会に欠かせなくなった通信手段を使っておこなう家族とのコミュニケーションである。パソコン等のモニターを通してわが家の様子を音声と映像で、リアルタイムで見ることができる。昔あこがれた「テレビ電話」そのものだが、当時は無料でそれができるようになるとは予想もしなかった。
     ただ一つ難点があるとしたら、日本と米国西海岸との16時間の時差。タイミングをはかるのがなかなか難しい。がんばって早起きして午前4時に送信すると、日本は午後8時。ちょうど夕食前後のくつろぎタイム。だが長男が週4回の塾から帰宅するのが午後9時過ぎなので早すぎる。少し寝坊して午前5時過ぎに送信すると、小1の次女が寝入ってしまう。
     何を話すのか?
     毎日のようにスカイプしていれば、新鮮さは薄れ、とりとめもない話になる。「庭の山茶花が傾いてきた」、「部屋に羽虫のようなのがいてウザイ」、「ソファに寝ちゃうのでお風呂入れない」、「週末に2回連続で塾休んだから次行く気でるか」(どれが誰のものかは想像におまかせするが、こっちの勝手な心配で、それぞれの発言ではない場合もあるので注意)。
     思い浮かぶ対策もたわいないものばかり。「ひもで結んでささえる」、「バルサンをたく」、「朝入れば」、「がんばれ」など。
     まあしかし、こうした時間の共有の積み重ねが大切だと信じる。スカイプに向かってくれるだけでもありがたいのかも。成長してくると、父親と向かい合うことを面倒くさがるか、ひどい場合は、嫌がる娘もいると聞く。
     さて、ある9月の早朝、しばらく次女の寝姿(リビングのソファの上)しか見たことがなかったので、たまには目を覚ましてしゃべるところを見ようと、午前4時に置き、まず電話を入れる。うまい具合に次女がでる。
     
    「ア、パパだー」
    (よしよし)「スカイプやろー」
    「いいよー」
    スカイプに切り替えて、
    「どんな漢字習ってんの?」(やっぱりたわいもない会話である)。
     
     やがて夕食が始まる。(今晩は牛肉焼うどんか・・)
     次女は食事の様子が見えるようにカメラのアングルを固定し、食卓につく。塾で遅い長男以外で、「いただきまーす。」
     (ふんふん、なんか家に戻って食卓を囲んでいる気分・・・悪くない)
     と、次の瞬間、ほんの一瞬、背筋になにか悪寒のようなものが走る。
     (なんだ?)
     すぐにはわからなかった。さて、その正体は次回に。 
  • アフリカン・ディアスポラ博物館 その2

    2012-09-19 07:58
    「ディアスポラ(Diaspora)」とは?
     ギリシア語の「まき散らす」に由来する語で、故郷から他の土地へ移住した人々、またはその移住そのものを指す。「Diaspora」と大文字で記す場合はユダヤ人とその移住を、小文字で記す場合は、同様の経験をした世界中の様々な民族とその移住を意味する。「難民」といえば、祖国に戻る可能性が残されているが、ディアスポラは、移住先に定着し、その場で生活を営んでいることを意味する。
     言葉の説明はこのくらいにしよう。アフリカン・ディアスポラとは、したがって祖国から世界中に拡散したアフリカの人々およびその経験のことである。
     この博物館を「アフリカ系アメリカ人」とではなく、「アフリカン・ディアスポラ」と命名したことによって、アメリカに移動(奴隷として強制的に移動)させられたアフリカ人の経験を、より大きなスケールで、広い視野からとらえることが可能になる。それが設立の目的であることはまちがいない。
     では、このような目的に照らしてMOAD(Museum of African Diaspora)の実践はいかがなるものか?
     一番印象に残ったのは、アフリカン・ディアスポラを3つのレベルで理解し、展示している点である。
     1.10万~20万年以上前に、現生人類がアフリカから世界中に拡散して、今日異なる「人種・民族」とみなされている集団を形成するに至る。これが第一のレベルである。それゆえ、「アフリカは現在の人類すべてにとって母なる大地である」と高らかにうたう。
     展示内容:世界中に広がったアフリカ文化の例として衣服装飾品、食料、そして(「衣」「食」とくれば「住」と思うだろうがそうではなく)「音楽」をあげる。マルチメディアによって体感できる装置がある。
     2.ヨーロッパ人の奴隷貿易による南北アメリカ大陸への強制移住。(アメリカ国内で「ディアスポラ」というとこのイメージが一番強い。)
     展示内容:ディアスポラの経験を伝える映像ライブラリーと奴隷証言を聴く小部屋(暗室にソファが配置され、スピーカーから流れる音声を黙々と聴く)。
     3.世界中で活躍するアフリカ人アーティストの作品展。
     さて、残念ながら、展示は壮大な構想を支え切れる内容とは言い難かった。メディアの紹介記述で批判的なものにはお目にかかれなかったが、かえってそこに不自然さを感じざるを得ない。多くを期待する入場者は確実に失望させられるだろう。昨今の不景気による資金難もあるのだろうが・・・。
     現代ユダヤ系博物館に行かずして、勝敗はついてしまったようだ。 

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