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  • 会場マレー・エドワーズ・コレッジ到着

    2012-07-31 02:12
    ヒースロー空港を出発したコーチ(バスのこと)は一路ケンブリッジをめざす・・・と思いきや、実はそうでもなかった。
     地図で見る限りヒースロー→ケンブリッジは東京→千葉県館山市(アクアラインを使って約110キロ)に相当。アメリカの地理感覚なら間違いなく1時間程度のとこだ。あとで、鉄道なら1時間少々だと学会の参加者にきいて、やっぱり。
     遠いと勝手に思い込み、4時間弱のバス乗車にありがたい気持ちで30ポンドを支払ったが、何のことはない。周辺の小都市や空港を周遊する路線だった。
     コーチ席では、東回り航路の時差ボケに襲われる。イギリスの美しい田園にカメラを向けようという意に反して、睡魔にぐいぐいと意識の闇に引きずり込まれる。
     あっと目が覚めると中間点・・・うとうと、次に気が付くと、広々とした芝グランドに沿って走る街路の停留所に停まるところだった。
     時計の針は終点ケンブリッジ到着時刻(午前11時)を指している。おお着いた。そこは、ケンブリッジの中心街だった。
     降りて、自慢の土地勘(?)を発揮して信じる方向に歩き出す、が、やっぱ眠い。普通にない素直さで、側らに停まっていたタクシーに乗り込む。
     正解。思っていたより遠かった。10分、6ポンド(さらに1ポンドのチップを渡す)。
     会場はマレー・エドワーズ・コレッジ(Edwards Murray College)。第二次世界大戦後、女性のために創設された新しいコレッジ、2008年に初代学長と大口寄付者のOGの名前をいただいてこの名前に改めたそうだ。
     ちなみに、ケンブリッジ大学(University)は多数のコレッジ(College)からなる。マレー・エドワーズもその一つ。コレッジとユニバーシティの関係が分かりにくいが、日本の感覚でいうとコレッジは小規模な私立大学のようなもの、そのすべて(ケンブリッジの場合は31)が集まってユニバーシティを成している。アメリカの場合と併せて説明しようとすると、さらにややこしくなる。
     学会はこの日(23日)の朝から始まっていて、らしい人がうろうろしている。ランチをつまんで(学会から出る)、さっそく勉強、とセッションに顔を出したが、ウトウトしそうで飛び出す(到着早々イビキでもかいたら大変・・・)、すこし前にNHK番組でみた「15分睡眠ベスト説」を思い出し、仮眠を取ろうと部屋へ。目をつぶって、開けたとおもったらもう夕方、4時間は熟睡したようだ。5時からのレセプションに45分遅れで顔をだす。
     ゲスト講師の一人、南カリフォルニア大学の研究者と歓談。
     名札が「カリフォルニア大学バークリー校」になっているので目をつけてくれた。
     「バークリー、いい大学ですね・・・」
     「そちらこそ・・・」(南カリフォルニア大学はUCLAを追い越そうかという私立の名門)。
     しかしまだ初日のせいか、レセプションから早々に退散する参加者が多く、その流れにのって街の散策にでる。どんな驚きと感動が待っているか?(すごかった)。 
  • オリンピック直前、英国民の盛り上がりを肌で感じる

    2012-07-30 01:08
    ロンドン五輪直前のヒースロー空港に降り立つ。
     スポーツ史に関心があるものならずとも、胸をときめかせるようなタイミングだ。
     北米大陸と大西洋を横断、東回りの航路は時差分を失うのであっというまに翌日になり、時差ボケがしんどい。しかし偏西風に乗っかれるので、たいてい予定到着時刻よりも早く目的地に着くことができる。これはありがたい。
     22日昼過ぎ発、23日早朝にロンドン近郊の国際空港着。フライト時間は約10時間。あまり揺れることもなく快適な空の旅だった。
     
     空港はオリンピック一色。係員、職員も心なしか、きびきび働いている感じがする。
     入国審査のおじさんも愛想がいい。
     「何しにきました?」
     「学会です。」
     「何の学会ですか?」
     「スポーツ社会国際学会です。」
     おじさんはニッコリ。(このタイミングで微笑まれることはめったにない。「絶好のタイミング、いいときにいいところで勉強してるね」っていいたげ。)
     
     ナショナルエクスプレスのバス停を探してウロウロ。
     サンフランシスコ・シティガイドツアーのボランティアのような、はつらつとしたおばさんが歩み寄ってくる。
     無料と思われるロンドン地図を手に。五輪関係のボランティアなのだろう。
     「アンタ、どこいくの?」
     「バスに乗るんでターミナル5に行きたいんですが、ここってターミナル1ですよね」
     「あら、そんな必要ないわ。この下にターミナルがあるからそこから乗ればいいのよ。まっててね、今聞いてきてあげるから」(頼んでもないのに、確認をとってくれる)
     指示は適切だった。5ポンド余計にとられたが、早いバスに変更でき、学会への到着を早めることができた。
     
     一つだけしっくりこないことがある。
     ロンドンで五輪が開催されるときに学会の場所がケンブリッジであること。
     世界に冠たるケンブリッジを訪問できるのだから、普通ならわくわく、どきどきなのだろうだが、五輪会場から離れてケンブリッジにいるのも、ちょっと間の抜けた感じが・・・
     まあ、だからそれほど高くなく、苦労もなく、学会に参加できるんだろうが・・・・。五輪の開催国にいることはたしか、と自分を慰める。
     あとは、一生の思い出になるような成果を期待するとしよう。 
  • 英国でのスポーツ社会国際学会へ(7月22日)

    2012-07-29 01:32
     ヒースロー空港への直行便に乗るためにサンフランシスコ空港へ。アジア系の人々(多数の中国人と日本人少々)でごった返している。
     振り返れば、初めての訪米(ロータリー奨学金による、大学4年生だった)で降りたったのもここだった。当時はまだ空港から直行の公共交通機関がなく、タクシーにするか不便なバスを乗り継ぐか迷ったものだった。今はバートのおかげで便利になった。
     
     長女をアパートに残してきている。ホストファミリーが午後4時に迎えに来てくれることになっている。 
     部屋を出てくる時刻(午前9時)には、時差ボケなのか常時ボケなのかわからないが、熟睡中。
     「友達はサー、みんな昼ごろ起きてるってよ、週末」と、昨日の発言を思い出す。
    あれは弁解の先取りだったんだ、といま理解。こういうときの「みんな」は、せいぜい2人、場合によっては1人のことも・・・。
     お隣の日本人夫妻にも頼んでおいたので大丈夫だろう。あれこれ心配しても、結局本人を信頼するしかすべはない・・・父娘関係のあるべき基本に立ち返る。
     
     話題を変えて前を見よう。
     この学会、第一回は2010年初春のバンクーバーだった。冬季オリンピックとパラリンピックの間隙を縫うように開催された。世界各地から研究者が集まり、期待通りの収穫があった。
     世界一住みたい街ランキングに、サンフランシスコと上位を競うバンクーバー。その魅力にふれ、デレック・バンリーネン先生に出遭った。それが一つのきっかけとなって、今バークリーにいる。このときの発表へのコメントに触発され、出版にもつながった。
     2011年の第二回は、クリケット国際大会のタイミングにあわせて、インドのコルコタ(カルカッタ)で開催される予定だった。シンガポール乗り継ぎ泊、インド訪問、いずれも初体験になるはずだったが、主催者側の都合(発表者数が十分に集まらなかった)で、キャンセルに。
     そして第三回の本年。(昨年キャンセルされてるので、本来なら第二回になるはず。しかし、パンフには「第三回」と。オリンピックと同じカウントをしているのか?オリンピックは過去3回キャンセルされているが、その分をカウントして回数を数えている。詳しい事情はまたの機会に)。
     今回は、オリンピック直前のタイミングで、英国での開催が実現。元植民地での不始末を、元宗主国で贖うかの計らい。ジョージア州立大学時代の旧友Tさん、バンクーバーで知り合ったSさん(いずれも日本人)も発表を予定しているという。
     前回のように、実り多きことを願う。 
  • 長女現る!

    2012-07-28 16:58
    7月も下旬に入り、日本では夏休みが目前。高校生にとっては本日が学期最終日(7月20日)。
     こちらに来て以来、孤独と闘いつつ、日本の生活では考えられないほど能率よく(といっても一人よがりに過ぎないが)仕事してきたが、ついに楽しいファミリータイムがやってくる。7月から8月にかけてまず高1の長女、3週間遅れて妻・長男(弟)・次女が西海岸に上陸する。
     長女は父親の職業にもかかわらず(というか、それゆえというべきか)「エイゴはキライ、もうダメ」と宣言しており、父親たっての願いで6月から某予備校に通うようになった。
    今回の訪米も三週間の語学研修に参加してもらって、二年半後の山場にむけて少しでも有利な条件を揃えてもらいたからにほかならない。
     長女は7年前、小学校4年時に家族全員とロードアイランド州に6か月ほど滞在、地元の公立学校に通ったことがある。中3の学校旅行でカナダにも行っている。だからこちらは全く初めてというわけではない。
    が、空港の入管にについて「あれって心配。ゼッタイ何いわれてるかわかんない!」
    (まあ、書類不携帯で連行されたヤツもいるから、そういわれると不安・・)。
     今から4時間以内には空港のロビーで会えるはず。何ごともなく無事にここシビック・プラザまでもどってこれるよう願いつつ、ネタになるくらいのドタバタがあったらと、ひそかに期待している。
     
     約6時間後。
     空港から戻る。予想より長く待たされる。同じ便の乗客でも最後の方に現れた。スーツケースを税関で開けられたのも一因とか。
     彼女の人生にとってそうとうの大事件だったようで、興奮して説明してくれる。が、いかんせん、本人に理解できなかったことを、こっちが理解できるはずもない。
     シビック・プラザへの車上、さっそくスヤスヤ。サンフランシスコのスカイライン、ベイブリッジからみる青い海、見せたいものはいろいろあったが、本人は夢しか見てない。
     
     そして一晩経過。
     弟から留守電にメッセージ入る(過去3か月一度もなかった)。妻からは「スカイプやりたくてまってたのに・・・」とメール(この言葉聞いたことがない)。次女も「寝ないでまっていたのに・・・」(いつも寝ていた)。
     「アタシ、人気あるからね」と長女。
     (家族の人気よりも語学研修にくるサウジアラビアや台湾の金持ち御曹司の人気をゲットしたらどうか、将来性もあるし)と言い返したくなって、ぐっと飲み込む。
     (おや、らしくないぞ・・・父性を呼び覚ます必要があるか?) 
  • 日米友好への願いと現実

    2012-07-27 14:30
    カリフォルニアからオレゴンへの6時間ロングドライブの末、州境からわずか数マイルの港町ブルックングス(地元では「ハーバー(港)」の通称で呼ばれる)に来る。
     ハーバーに着いて一路、商工会議所をめざす。この組織が藤田さんを招待し、返礼の受け皿となった。この事実は、日米のやりとりの性質を知る上で意味を持っていると思う。そこに、すくなからず「村おこし」としての期待が込められていたことは確かだ。
     商工会議所には前日電話して、目的とする爆弾投下地への「あし」を確認。「クルマと徒歩で1時間程度」との返事だった。それほど苦も無くたどり着けそうな口調だったので、北上ドライブを実行に移したのだった。
     商工会議所は、港へとつづく広場に建ち並ぶ家屋の一画を占める。昼過ぎで、シーフードの看板をかかげるレストランは週末の外食を楽しむ市民でにぎわっていた(その一つで昼食をとる)。会議所では、高齢の女性が案内役を務めている(4歳のとき、日系移民の強制収容を経験、いつも遊んでいた日系人の女の子に、「御餞別」にお菓子をもらったと語ってくれた)。
     「あのー、昨日電話したものです。空爆跡地を見たいんですが・・・」
     「あんたのクルマ4WD?そうじゃないと辛いわよ。」
    (おっと、昨日の電話とは話がちがうが・・・)。
     舗装道路を5マイル、砂利道を16マイル、さらに徒歩で1マイルほどらしい。この砂利道がくせもので、普通のクルマだとつらいという。
     爆弾投下の目的は森林に火災を起こすこと。行きやすいところでは、目標の達成は無理だろうから、それも当然といえば当然。爆弾が直接死傷者をだす可能性も低い。このことは作戦を遂行した藤田さんの気持ちをすこしは軽くしたかもしれない。
     しかし今、その場を訪れようとするものには大きな障害として立ちはだかる。
     「やめなさい。わるいこと言わないから。アタシも行って見たけど、がっかりするだけよ」と案内嬢に追い討ちをかけられる。「公立図書館にいけば、藤田さんの刀、関連資料が全部展示されているから、それをみなさい。」ここには行った。写真も撮った。たしかに、みるべきものはすべて揃っていた。3時間ほど閲覧に時間をかける。
     別れ際、案内嬢は重そうな口を開いてこう言った。「こんなこというの恥ずかしいんだけど、爆弾跡地はバンダリズム(破壊行為)にあったの。あなたが行っても見つけられるか心配だわ。」
     しかしはるばる374マイルも来たんだし、と現地に未練が残る。帰途に就く前に、行けるとこまで行ってみようと思い直す。舗装道路5マイルは問題なし。しかしそこからの砂利道に苦戦。その先の徒歩道も心配。一人できているので、クルマの故障やけがなどの事故がコワイ。結局砂利道を2マイルほどいったところでUターンを決意。写真だけでもと周辺をパチリ。
     帰途中、案内嬢の口からでた「バンダリズム」という単語の生々しい響きがずっと気になった。この一言に人びとの本音(少なくともその一部)を聞いた思いだった。「英雄として招いた」という他人行儀な説明よりずっとしっくりくる。だが、図書館に掲げられていた、笑みをたたえた藤田氏の瞳はそんな反対運動の、その向こうを見ているにちがいない。 

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