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  • NASSH三日目 大御所ウィギンズ(Wiggins)とジェムズ(Gems)

    2012-07-13 21:46
    またまた、NASSH大会に戻る。いよいよ三日目。四日間の学会で一番忙しい日だ。
     一日が5回の時間帯に分かれ(午前2回、午後3回)、それぞれの回に5つくらいのセッション(発表会)がある。参加者はプログラムを見ながら、5つのうちから一番自分の関心に近い所、聞きたい発表者がいる所を選んで出席する。当然、人気のあるセッションには人が集まり、そうでないものは少ない。ここでも競争原理が働いている。もちろんセッションに出ないで観光を楽しむのもあり、部屋で自分の発表の準備(あるいは居眠り)するのもあり。参加者は、かなり自由に行動できる。
     一つのセッションは3~4名の発表から成る。一人20分程度の持ち時間、全体で90分程度、余った時間は討論や質疑応答など。
     三日目の発表は、上の説明からわかるように5×5=25のセッションがある。その中で私が特に出たかったのは2つ。ウィギンスとジェムズの発表。二人とも『人種とスポーツ』の主張と深くかかわるテーマについて話すことになっている。
     黒人テニスプレイヤーで、ウィンブルドンなどで優勝を飾った後、不幸にも輸血が原因で、エイズで亡くなったアーサー・アッシュという人物がいる(235‐237ページ)。そのアッシュが書いた本が『栄光への困難な道』。
     実はこの本、中公新書には書かなかったが、事実関係の誤記が目立ち、マイナスも多い。でも貴重な情報源なので、アメリカの研究者がどう思っているのか知りたかった。ウィギンスは発表で、アッシュとその業績を取り上げるというので、これは是非と、楽しみにしていた。
     で、彼の言いぐさがいい。この本を読んで「アイ・アム・イン・トラブル」、つまり「私は困った」、「私に問題がある」と言った。ホントは「ジス・ブック・イズ・イン・トラブル」、つまり「この本は問題だ」と言いたかったのだ。でも、白人のウィギンスが黒人にとってテニスの神様のようなアッシュの悪口をいうと、大きな社会問題になってしまう。だから、自分を悪者にして「私に問題がある」っていうしかなかった。ウィギンスの発表を聞いて、なるほどと納得。
     もう一人はジェムズ。ボクシングの歴史に関する発表だ。拙著では、最近黒人ボクサーが急減したことを問題にしている(176‐178ページ)。この変化をアメリカの研究者はどう考えているのか、ジェムズに直接聞いてみた。「日本の相撲と同じだね」(外国人がどんどの増えているってこと)。なるほど。時代と共にスポーツの主役は移り変わる。もう一度、なるほど。
     そのあと、ロビーで会った時、ジェムズに『人種とスポーツ』を謹呈。
     「日本語ですみません・・・」
     「あっ そう」
     そりゃー読めないよな。でも軽い本だから荷物にはならんだろう・・・。

     あとで見るように、小さな交流が記憶に残ることだってある。あんまり悲観しないでおこう。 
  • ウォルト・ディズニー・ファミリー博物館へ

    2012-07-12 22:26
    日本はもちろん、世界中にその名を知られたウォルト・ディズニー。その生涯の記録を収めた博物館である。
     かつて軍の基地で、今は公園になっているプレシディオの一画を占める。
    大人一人20ドルはやや高め。子供を喜ばせようと訪れるならやめた方がよい。展示がぎっしり詰まっていてディズニーの人生をたどるにはもってこいだが、子供が気に入りそうなものは少ない。せいぜい、ディズニーランドのミニチュアくらいか。とても精巧にできていて、思わず息をのむ。(大人の)ディズニーファン必見。
     展示が語りかけるストーリーは、ウォルトの曽祖父がアイルランドからカナダのフロンティア地域に入植した時代、19世紀前半、に始まり、祖父、父親を経てウォルトの出生へ。若い日々の苦労にめげず、アーティストになる野心を抱く。16歳で年齢を偽って第一次世界大戦に看護兵として従軍。その時に乗っていた赤十字が使ったフォード車モデルTの実物大複製もある。
    妻リリーの家系と生い立ちにも詳しい。
     浮き沈みの激しい若手アーティスト(ものすごく二枚目、女性なら一目でファンになる)は、ミッキーマウスを生んでから、一気に米国を代表するアニメーターへと出世を果たす。人生の後半で、ミニチュア趣味から始まったディズニーランドを実現させ、さらにエプコットセンターの建設へと夢を膨らませるが、志半ばで1966年、65歳で逝去。
     ディズニーに関する研究書やドキュメンタリーは、彼の生き様の光と影をいろいろな角度から浮かび上がらせてきた。ここの展示は、家族思いで、才能と運に恵まれ、逆境を一つひとつ克服する愛国者を描きだす。
     当然といえば当然なのだろうが、人物像は一貫してヒーロー的。「アメリカの夢」の体現者そのものである。
     卒論でウォルトを取り上げる学生が後を絶たないが、ここに来て一日、ゆっくり展示を鑑賞すれば、一つの見方を学べることはまちがいない。
     研究者の間でよく話題になる第二次世界大戦時のプロパガンダ映画も、一部公開されている。戦争という殺し合いが背景にあるが、ここではこぎれいにまとまった展示にして、彼の人生の一コマにあてはめている。
     一人の人生をここまで詳しく、豊富に資料で裏付けている博物館は、そう多くはないかも。彼の人生をたどりながら、いつのまにか自分の人生を引き合いにだし、各年齢での出来事や動向を比較していることに気づく。(落ち込むだけだから、よせばいいんだが・・・)
     自分に残された時間があまりないことに気づいて、はっとしたところに出口が待っていた。 
  • 藤原新選手の頑張りと1930年代の日本陸上界黄金時代

    2012-07-10 21:31
    こちらに来てからよく視るようになった番組にNHKの「クローズアップ現代」がある。現在の日本社会で話題になっている事柄をわかりやすく解説してくれる。日本にいたころは番組名を聞くことはあっても、あえてチャンネルを合わせようとは思わなかった。これも日本恋しさのなせるわざ?(というよりは、チャンネル権がなかったからだろうけど・・・)
     今熱いネタといえば、ロンドン五輪。バークレイ通信としては番外編になるが、気にかかる話題があったので紹介しよう。
     日本陸上界の期待の星といえば、マラソンの藤原新(あらた)選手。今年2月の東京マラソンでは日本人選手としては久しぶりに2時間7分台(自己最高)の記録で2位に入った。自分で会社をおこし、ケニアの高速ランナーと戦う作戦を練り上げる姿勢に好感度も高まっている。
     彼の作戦のなかで気になった点が二つある。
    その一。従来の日本マラソン界は42.195キロをいかに耐えるか、つまりいかに耐久力をつけるかを目指して訓練してきた。が、藤原選手は、それではケニアに勝てないので、いかにスピードをつけるかに焦点を当て、科学的トレーニングを積んでいるという。1キロ3分のペースで走り通す力をつけ、2時間6分台を狙う。
     ここで(歴史的)既視感(デジャブー)。私が調べている1930年代、ロサンゼルス五輪(1932年)をめざして、まったく同じことをやっていた選手がいた。慶応大学の津田晴一郎。彼も、耐久力ではなく速力をつけるための「科学的トレーニング」に打ち込んだ。五輪では見事5位入賞、前回のアムステルダム(1928年)の6位から1つ順位を上げている。ただし、彼が目標にしたのはケニア人ではなく、1912年のストックホルム大会から長距離走優勝の常連だったフィンランド人。彼らも、当時生まれつき身体能力に恵まれていると信じられていた。
     その二。ロンドンのコースは曲がりくねっていて、カーブで走者同士が接触をおこす危険があるという。身体の小さい日本人は跳ね飛ばされて負傷する恐れもある。そこで藤原選手は、アウトコースをまわって衝突を回避する作戦を立てている。ただし、走る距離が長くなってしまうので不利だ。
     ここでまたデジャブー。1936年ベルリン五輪の1万メートル走に出場した村社講平。身体のでかいフィンランドの三選手と最後まで競い合い、惜しくも4位に終わる。(フィンランド勢がメダルを独占)。村社は衝突を避けるために、遠回り覚悟でアウトコースを走り続けた。観客は身体のハンデにめげず果敢に挑んだ村社に惜しみない拍手を送ったが、アムステルダム五輪三段跳び金メダリスト織田幹雄は、「戦略ミス、わざわざ遠回りしなければメダルのチャンスがあった」と、手厳しかった。
     デジャブーはどこへと続くのか。同じベルリン五輪のマラソンでは孫基禎(ソン・ギジョン)と南昇竜(ナム・スンニョン)(どちらも韓国人だが、当時は日本人として登録)が金・銅メダルに輝いた。
    ロンドン五輪のアジア人選手にそこまで期待するのは、虫がよすぎるか? 
  • 独立記念日に花火を観る2

    2012-07-09 00:25
    ところ変わって岬の公園。
     いつもひっそりしているのに、この日ばかりは、いるわ、いるわ、うじゃうじゃ、近所のひとたちが集まってる。
     「ノー・ファイヤーワーク」との掲示が目に付く。楽しみにやってきた目には「花火見られません」と映ったが、よく考えれば「ここで花火はできません」という意味だ。独立記念日を前に恒例の花火を公園から締め出す意図で急きょ取り付けられたようだ。
     これほどの人が集まってるからにはさぞ壮観だろー、と期待。
     9時を過ぎて、日がとっぷり暮れてついに・・・
     あれっ。
     期待の花火は、水平線とも地平線とも見て取れるところから、わずか数センチ程度上にあがってパチパチと散る、程度にしか見えない。
     まったくの期待外れに唖然・・・
     が、回りの人は「オー」、「ワォー」と素直に喜んでいる。
     金門橋は、ハイウェイを100キロ以上でとばして数十分の距離。たかが湾のあっちとこっち、程度の感覚だったが、改めて東京都の地図に当てはめてみると、新宿と調布の距離に相当。
     日本じゃ新宿から調布の花火をみるってありえない、これじゃー無理、と納得。
     海のはるか向こうでクジラが色のついた噴水を上げてる、と想像すると、幾分癒しになった。
     
     (まあ、それでも独立記念日に花火をみたことにはなる)と、自分を慰めつつ帰途につく。しかしクライマックスは帰途で待っていた。
     
     住宅街の主要道路を一直線に約15分。その道路の両側の家々が、つぎつぎと、打ち上げ花火を始めたのである。ドーン、ピーヒョロー、ババーン、バチバチバチ、ドバーン。
     それも、日本の一般家庭でやるような(かならずがっかりすることになる)しょぼい打ち上げではない。
     いわゆる日本のプロがやるやつほどではないが、数十メートルの至近距離からみると、それと同じくらい空に広がって見えるスゴイ打ち上げである。
     「オー」、「ワォー」と運転しながら、道の両側を彩る花火の連続にむかって大声を上げる。たとえるなら、クリスマスイブの情景に近い感動。盛夏のイルミネーション。
     あとになって、あれだけスゴイ花火を一般人に売りつける業者、それを買う親、その両方の常識を疑いたくなった。しかしドライブ中は、アメリカでしかできない経験を一つ増やしたようで、最高の気分だった。
     
     独立記念日は花火、その思いをさらに深めた一日だった。 
  • GGP(ゴールデンゲートパーク)シャトルバスの三不思議

    2012-07-08 23:11
    再びGGPへ。7月4日、独立記念日を祝う人々でにぎわっている。
     クルマは第一目的のジャパニーズ・ティーガーデンのそばに停めて、シャトルバスを利用することに。公園のサービスの充実度を探ってみたくなる。
     ところで、このティーガーデン(日本茶室庭園とでも訳しておく)。サンフランシスコの長い日本人差別の歴史に占める位置は興味深い。日本人に対する敬意と差別の交錯をそのまま経験したところ、といっていいだろう。だがこの件は後日に譲って、今回の主役はシャトルバス。
     シャトルバスの不思議とは?
     その一。なかなか乗れない。
     ティーガーデンを出たところにバス停。看板にでかでかと「15分おき、無料」とある。よし、これを利用しようとベンチに座る。
     すると、しばらくして隣にいる老夫婦の愚痴が耳に入る。
     「45分も待ってるのに、来ないわねえ・・・(こっちを見て)アナタも待ってるの?」
     「まだ、ここにきて5分くらいですが・・・」
     と言いながら、左側約30メートル先をみると、路上にそれらしい影が・・・。
     まさか、と思いつつ、近づくと、それがシャトルだった。
     はやく、はやく、と老夫婦の急かして、三人で無事乗り込む。
     「ハーイ」と、運転手が笑顔で迎えてくれる。(が、笑顔を見せてる場合か? なぜバス停に停まってないんだよ)。老夫婦は複雑な表情をしている。
     その二。利用者がいない。
     30分ほど、目的地に向かってバスは進む。が、誰も利用者がいない。バス停もない。だだっ広い公園の幹線道路を、3人だけをのせてバスは一路西へ。
     考えてみれば、アメリカ人のほとんどはクルマで来て、クルマで移動。公園内に駐車場はいっぱいある。だとすると、だれのためのシャトルなんだろう?
     その三。降りたいところで降ろしてくれない。
     目的地は西端にある風車、ダッチ・ウインドミル(オランダ式風車)。灌漑のために作られたという。見事なつくり、下から見上げるだけでワクワクする。
     ところがシャトルは、その前を走り去り、目的のツアーの人だかりを通過し、(あのー、降りたんですけど)という言葉を発する暇もあたえず、さらに100メートルほど、左折して400メートルほど、やっとだれもいない、バス停の看板もない駐車場に停まった。(次もここに停まるのか?ここで待てば乗れるのか?)自信もなく、帰りは歩くことにする。
     500メートルもどって、ぎりぎりでツアー開始に間に合った、フー。
     新車同然の快適な座席、ニコニコ愛想のいい運転手、少し前までは有料だったのをあえて無料にしたという。どれもこれも評価したい
     しかし、これほど利用勝手が悪くて、存在価値があるのか?思いがけない散財に直面し、財政危機で苦しむ州への同情は一気に薄らいだ。 

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